ただの日記を

人生2度目のブログ?

年齢を重ねるということ。「年をとっても愛してくれる人がいるか」

たとえばネットで調べ物なんかをしているときにぴゅんぴゅんと飛び込んでくるこんな見出しでさえも、
わたしはそれを瞬間でサッと読みながら、スマホ画面の違うリンクをタップし、元来の目的のページへと操作を続けつつ脳内の端っこでその見出しを考える、

「いや...いるか?いないよ。年をとっても、わたしがこの先たとえ姿形が変わっても、たとえばずいぶん性格が変わっても。それでも愛するよと言ってくれる人を。そしてそれを実行してくれる人を。
一人でもいいから見つけるだけで、老後が、人生の終焉が、怖くなくなる。一人ぼっちじゃない、そう思えるよと。AIさんだもん。そう書いてあるんでしょ?
いるかい?そんな人。それをいると断言できる状況ってどんな環境だろう?結婚したからってそうなるか?パートナーがいないからってそうならないか?そんなの何の根拠にもならない。自分も日々変わる。相手も年々変わる。環境も刻一刻と変わる。時間は止まらない。
“~~~ても愛してくれる”この期待、信頼、安心、そこにどっかり腰を下ろすことの恐怖からなぜ目を背けるんだろう?
人は死ぬときかならず一人。最後の最後は、どんな人でも絶対に一人で一歩足を踏み出す。今この世界で生きている人の中には、そこへ行ったことのある人は誰一人としていない。行ったことがあると語っている人もしょせん入口をのぞいて帰ってきただけ、細胞は燃えていない。生の終わりのその先へと踏み出したあとのことは誰一人知らない。そんな行為が待ち構えている人生で、何にどう期待し信頼し安心し自分を預けられるのか?自分の心身の責任は自分にしかとれない。もし後悔も他責もしたくなければ、自分の心身の進退、コンディション調整は自分で覚悟を決めて、相手がこれをして“くれなかった”から、相手がこれをして“くれる”はずだったのに、予定が狂ったから、そういった思いを抱きたくない。愛して“くれる”、受け止めて“くれる”、この受動の姿勢をとりたくない。」

 

 

■歌手AIが考える、年齢を重ねるということ。「年をとっても愛してくれる人がいるか」(telling,) - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/aea545e8f07ea78132cdbba44a1181427b2672dc

news.yahoo.co.jp


※AIさんのことは大好き。
※AIさんの声やトークを聴いているだけで心があたたかくなり、しっかりと生きようと思えるぐらいに、彼女には好感と尊敬を抱いてる。

 

※記事は読まずに見出しのみ見て、脳裏によぎったことだけを書きました。

※投稿が終わったらこの記事を読んでみようと思います。