ただの日記を

人生2度目のブログ?

ただの日記を書きたくなったので。

三浦春馬さんが亡くなった。

 


それが今日このブログを始めてみることにした理由です。

 


物心ついたころから父親がわりと病人で、日々の中にいつも強烈な死の恐怖がつきまとっていて、けっきょく平均よりは早くに彼を亡くして、人の生死には人一倍敏感なつもりだった。

人生の序盤は30代の今思い返しても寂しく孤独で、辛いことが多く、どこへ行っても周りを敵に回して戦闘態勢で、そのぶん私は命の尊さ儚さわかってますみたいな、過信や驕りがあった。

 


ニュースを見た時、そんなことなかったと痛烈に実感した。

全然わかってない。全然わかってないし若干忘れてるんじゃないの。

なんだかんだとコケまくってきたけどここまで生き抜いたつもりでいて、皆が懸命に生きているのと同じように。

結婚して子どもがひとりいて、何とか“普通”にやっていけてるかもしれないよねとか思ってたから。

 


彼が亡くなって自分でも信じられないぐらいのショックを受けて、え、今自分ってどこにいる?夫と結婚してこの家にいるよね?子どもがいて、ちゃんと育ててるよね?せめて夫と子どもの目には私が映ってるよな?でもそれ本当かな。本当は本当なんだろうけど。

“やっていけてる”とか思ってるの自分だけだったりしないか。ある日パンッとはじけて画面が真っ黒にならないか。

自分がもし突然ここから退場して、振り返れるのかなんて知らないけど振り返ってみた時に、自分の中にも外にも何のかけらも粉末も見当たらない、虚無だったりしないか。

名なり成果物なりを残したいのなら一丁世に浸透する物事の発明でも創作でも命削ってやってみなさいよと自戒するけれども、たとえそうでなくとも、今パソコンの前に座っている。寝て起きて、サプリとか飲んで健康に気を遣っている。こんな感情が存在する。誰のために何ができるのかなんてわからないけれども最後まで命燃やすぞというこの気合いを。

うまく言えないですがただ生まれて生きていつか消えてなくなる私を、そのかけらを大事にという気持ちが充満して、「ただの日記 ブログ おすすめ」とグーグルで検索した。

 


ブログは昔たしか2007年ごろ~数年間だったか、アメブロで書いていた。最終的にどこかのタイミングで気が済んで全部消した気がする。結婚だったか出産だったか...

facebookもインスタグラムもやっています。ミクシィとかもやったね懐かしい。ツイッターはいちばん長いかもしれない、もう10年以上のはず。

どのSNSでも出どころのない、出番も需要も、メッセージ性もない、きっと誰の目にも留まらない、読みたいと思われるようにうまく書きたいとかそういう気持ちも正直ない。

共感やシェア、交流がもしなくとも構わないし、あったらもちろんうれしいけれども、まずはその日その時の自分のために日記を書いてみる。

 


こんなご時世、昔ブログをやっていたころとは随分インターネットの世界観も変わって、けしてもうフィクションの世界ではなく、どこまで書けるものかなと不安もありますが、

やろうと思ったことはやってみる、ダメだと思ったらやめる、それでここまで来たように思うので、せっかくの空間を楽しんでみたい。

 

 

 

 


三浦さん。こんなに絶望する出来事もそうないと思う。

死に対してけして多くを語りたくない。

同世代な感覚を持っていたら、自分より4歳も下だった。

 


春馬さんの生きた人生に、心より尊敬の意を表します。

彼が望んだとおりに、なりますように。